
偉大な野球人である野村克也氏(以下ノムさんと書かせてもらおう)を語るキーワードは、私は以下の3つであると思っていて
(1)野村克也-野球=ゼロ
(2)野村克也-野村沙知代=ゼロ
(3)ノムさん大阪に還る
(1)は「俺から野球を取ったら何も残らん」の意。それだけ人生のすべてを野球に尽くしてきたということだろう。
(2)も同じく「ワシから沙知代(以下サッチー)を取ったら何も残らん」の意。結局のところ夫婦関係は個人間の問題だろうし人が論評するものではないが、それだけノムさんにとってかけがえのない人だったということか。
(3)はちょっと話が発散しそうなので、書評メインのこの記事では割愛。いつか機会があれば…
そのうち本書では(1)に関する部分。ノムさんがいかに野球に尽くしていたか、それもプロ野球のみならずアマチュア指導者というちょっとわき道をたどっていた時期の物語である。
ヤクルトを指揮して9年。チームをリーグ優勝4回、うち日本一に3回も導いた名将は退任後、阪神に三顧の礼で迎えられる。しかし阪神では3年連続最下位。それでも球団は続投を要請していたが、サッチーが脱税容疑により逮捕され、一転退任が決まる。ここにノムさんの名声は地に堕ちた。
「人間一番悪い時に手を差し伸べてくれるのが本物の友人」とはよく言われるが、シダックス創業者である志太勤会長は、このタイミングで同社野球部の監督としてノムさんを招聘したのだ。(正確には1年間を開けて2003シーズンから指揮)
・収入(阪神では億を超える収入を得ていたが、シダックスでは同社役員相当の報酬)
・環境(自前の専用グラウンドも室内練習場も持たずに、貸しグラウンドを転々とする)
・選手の技術レベル
あらゆる面でプロに比べて差がある社会人野球(シダックス野球部自体が社会人野球の中でも恵まれた方ではないとはいえ) それでもノムさんは久々の「野球の現場」で自らの野球を浸透させていく。
『1月の冬空の下、関東村での練習を終えた野村はヒルトン東京の部屋に戻り、シャワーを浴びた。顔や髪に付着した砂が黒い水となって、排水溝に流れていった。
野球人に戻れた証拠だった。
あすも早起きか。参ったな。
野村は幸福をかみしめていた。』
ある時はアマチュア選手のレベルまで視点を落としてかみ砕いた指導。
またある時はプロで培った豊富な経験をもとに的確な指示。(一打サヨナラの場面で「内角球が絶対に来る。力むとファウルになるから、犠牲フライを打つ感じで打て」)
すっかりノムさんに心酔した選手によってチームは快進撃を続け、都市対抗で準優勝に輝く。
プロ監督時代は「再生工場」と言われ、全盛期を過ぎた選手の復活に定評があったノムさんも見事に指導者として再生されたのだ。
そしてご存じの通り楽天監督のオファーが届き、「野村さんをプロ野球界にお返しすることができてよかった(志太会長)」と、ノムさんのキャリアとしては異色の3年間は終わりを告げた。
本筋とは関係ないが、ノムさんが意外な庶民性を見せる描写も面白い。
夜型人間のノムさんは早起きが苦手で(まあプロ野球人の職業病か…)、どうしてもシダックスの練習開始時刻までに朝食をとることができない。仕方なく練習場のベンチでマネージャーが買っておいたコンビニのとろろそばをうまそうに食べるのが習慣に。
同地区の社会人チームによる監督会(という名の飲み会)にノムさんを誘うと出席してくれることになった。銀座やキタ、ミナミといった華やかな世界を知るノムさんが、貸切りとは言え船橋のありふれたクラブへやってきた。ところが「ノムさん来店」のうわさを聞きつけてか、雑居ビル各店の女の子がそろってヘルプで駆け付け出迎えているではないか。女性に囲まれノムさんもご満悦。なお女の子が一番興味があったのはサッチーの話とのこと。
練習試合で他チームのグラウンドに出向くノムさん。迎える側のマネージャーは昼食に何を召し上がっていただくか悩んで近所のすし屋に連れて行ったところ「みんなは何食べてるの?」「寮のハヤシライスと冷や麦です。ハヤシライスは評判がいいんですよ」「じゃ次はそれでいいよ」 次対戦ではその通りハヤシライスと冷や麦を出したところ、ぺろりと平らげ「美味しかったよ」と。これには寮の賄いのおばちゃんも感激。
三つ目。同じ記事で三つも言いたいことを書くのは、あまり文章にまとまりがないなあ… とわかってはいるのですが、オイシックスファンとしてもう一つだけ書きたい。
野間口TDと武田勝監督がシダックス野球部出身というのは、皆さんご存じのことだろう。二人はそろって2004年のドラフト候補になる。ただ左右の両輪として活躍していた二人に一気に抜けられるのはチームとしては痛手だ。ノムさんは泣く泣く勝さんの方に残留を要請する。
当時すでに26歳。この一年、一歳がどれだけ貴重なのか… それでもチームを思って残留した勝さんは、翌05年ドラフトで日本ハムに指名される。東都大学一部リーグ通算0勝(二部では勝ってますが)、プロデビューが28歳という遅咲きの新人はプロ通算82勝を挙げ、シダックス時代の最高の教え子となったのであった。(あのちょっと球の出所が見づらいフォームはノムさん就任以前、外角低めコントロール、チェンジアップ、シュートの習得という投球の組み立て的なところはノムさんの指導のたまもののようです)
橋上前監督とこの二人(さらに言うと高津現ヤクルト監督とか内藤氏とか加藤氏とか)、これをもって野村ID野球の継承とかそこまで牽強付会なことは言えませんが、それでもシダックスを軸としてなんとなくオイシックス球団まで人がつながってるなあ… とは思うのであります。
コメント
まさに私はノムさんがスワローズ監督になってクソ弱いチームが常勝チームになる過程を見てました。
そこで学んだのは育成とは?なんですね。
素質のある若者はほっといても育つけど、努力の方向が間違っている者は何が間違っているのかを見極めることです。必ずしも技術だけじゃないんです、やる気も含めて。
気持ちが塞がってるヤツほど、実は力をつけるととんでもない実力を発揮したりしますし。
私も後輩の育成、という立場に立ってますが、素直に聞いて一線級になったのもいれば、前の職場で評判の悪かったヤツが単にそりが合わなかっただけで気持ちを奮い立たせて頑張りだしたりと、ノムさんもこんな感じだったのかなあと最近思うわけです。
ノムさんにしても合わなかったチーム、選手もいるわけで、万人に合う指導というか接し方はないんでしょうね。難しいところです。
ただ最後楽天に行って、あの山崎の転がし方見てるといろいろあった集大成かなと思います。
西武出身の伊原さんがオリックスで馬鹿正直にぶつかって反発されたよりは、多少おだててでもうまく働かせたほうが年の功かなと