三陸沿岸の旅、三回目は気仙沼からさらに北上して釜石を目指す。今回はその中間点・陸前高田に到着するまでをお届け。気仙沼までは前回と同じルート(また4時間!)
前回は触れなかったがBRTのいいところは、この通り線路を外れて自由に走れるところ。例えば市街地などで線路を外れて役所、病院などを立ち寄るルートにすれば、乗客の利便性は向上する。この気仙沼線BRTにおいてそもそも並行道路が渋滞するか、というとそんなことはなく、せいぜい気仙沼市内が混むので専用道があった方がいいかなといった程度。
それでも鉄道、あるいは鉄道に準ずる公共交通機関が地元にあって欲しいのはみんな一緒だろう。バスだとちょっとしたトラブルですぐ遅れてしまい、まあそれがバスという乗り物という認識なのだろうが、BRTだとほぼ定時運行を維持できる。「GPS情報をちょちょいと活用してスマホでバスの遅れ情報を出せば…」と思っても、そもそもバスの利用者層がスマホを存分に活用できるか…
津波で外壁だけ残ったビル。よく見ると3階と屋上の間に「津波到達水位」の表示が。屋上に避難してかろうじて難を逃れ、救援を待ったのだろう。
(追記 ここは「ブライダルパレス高野会館」という有名な震災遺構で、震災前は結婚式他各種式典で利用される総合会館として営業していた。震災当日も老人会が行われており、参加者および周辺からの避難者合わせて327人もの方がこの到達点よりも上階に避難して津波を逃れたとのこと)
気仙沼着。今度は大船渡線のBRTに乗り換えさらに北を目指す。
大船渡線のBRTはかなり大胆に路線を再編した。鉄道は気仙沼を出るとそのまま山に向かい峠越え、かなり時間をかけて宮城・岩手の県境を越え、岩手県の陸前高田市に出ていた。BRTはこのルートを破棄、三陸道に上がってトンネルで一気に山を抜け、海岸沿いに陸前高田に向かう。旧鉄道路線は集落のあるエリアまでは支線としてバスがフォローする形に。
バスは陸前高田に入る。海岸沿いはもともと高田松原と呼ばれる景勝地だったが、津波であえなく全滅と思いきや、一本だけ残った松の木「奇跡の一本松」。 ただし植物としては枯れてしまっているため、保存処置を施したいわば人工物である。現在同地では松原の復活を目指して植樹が行われている。
市内中心部。ここもきれいにきれいに区画整備されたが建物は少ない
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